1965年に日本で初めて開かれたブルーノ・ムナーリ展の開催に尽力したのは瀧口修造でした。瀧口は1903年生まれ、詩人西脇順三郎の影響を受けながら、まず詩人として、そして美術評論家として戦前戦後の前衛芸術全般に関わった人です(1979年没)。ムナーリのほかにもアンドレ・ブルトン、マン・レイらと親しく交流して作品を共作したり、自身も自動筆記などの手法でアートワークを残していますから、ムナーリと興味・活動の仕方が似ていたのではないかと思います。日本で発行されたムナーリの本の巻頭にムナーリ自身「瀧口の思い出に」と献辞を記していますから、二人の芸術家の間に深い友情があったことと想像できます。